3Dグラフィックをやっている人ならば「テクスチャ」という言葉を使う方が通りがいいと思いますが、「材質感」は絵をリアルに見せるために重要なポイントの一つです。
昔、油絵をやっていたときは「マチエール」と呼んでいましたが、筆のタッチや絵の具の盛り方によって様々な材質感を作ることに夢中になったものです。絵筆をタブレットに持ち替えたあとは Photoshop の機能を使って様々な材質感を作れるようになったことに驚きを感じました。
昔「スーパーリアリズム」という写真そっくりに描かれた絵が流行ったことがありました。当時私は「リアルなことはいいことだ」と妄信していましたので、画集を見ながら「ほあー」とため息をついていたものです。名前は失念しましたが日本のスーパーリアリズムの第一人者が書いた技法書に「塩と砂糖を鉛筆で描き分けられるようにデッサンしなさい」とあって、自分には到底ムリだなと思ったものでした。またその手の絵はエアーブラシを多用したため、貧乏だった私には敷居が高く、結局は筆で絵の具をちまちま塗ってはやはりため息をついていたものです。
一時期イラストレーションの会社に勤めたときは憧れのエアーブラシを使う機会に恵まれましたが、カッターでビニールシートをひたすら細かく切りぬいてゆく「マスキング」作業の方が多くて辟易したものです。ビルの窓をデザインカッターで切り抜く作業は写経しているかのような苦行。今は Photoshop で自動選択したり、ブラシで描いたものをマスクできるどころか、半透明のマスキングまでできるのだから便利です。
話が飛びましたが、では私は材質感をどのように描き分けているか。実は正直なところよくわかりません。出し惜しみしている訳でなく、毎回それこそ「適当」にやっているので説明できなかったりします。したがって自分でもどのように描いたのか細かくは覚えていないので二度と同じものが描けません。結局は経験則によるもの、としか答えられないのです。
でもそれでは検索エンジンで引っかかってきた人たちに悪いのでその「経験」を積む方法について。私も Photoshop を覚えたての頃はテクニック本を買ってマネしたりしていました。ただしまんまマネするだけじゃ面白くないので自分の描きたいものに応用していました。そんな風にマニュアルに沿わないようにしたおかげで、いろんな物に応用できる力がついた気がします。
また重要なのは観察と記憶。絵を描く上で陥りやすいのは絵に描く対象物を観察せずに自分の記憶だけで描こうとしてしまうこと。手先ばかり動かして実は全然見て描いていないというのが初心者が陥りやすい描き方。「顔は目が2つで鼻が1つで口が1つ」などと固定概念で描くと、大抵似ても似つかぬものが出来上がります。目とは眼球を皮膚で覆っている一部が露出したもので、透明感があり、表面は涙によって濡れているもの。複雑な立体物なので角度によって形まで変わります。その違いをしっかりと観察し、構造を理解することが肝要です。昔「10見て1を描け」と言われたものですが、極端な話、絵を描く作業の90%は観察といってもよいでしょう。
でもいちいち現物を用意するのは無理ですし、ましてや架空のものを描くなら現物が存在しません。その場合は「観察」を積んできた「記憶」がモノを言います。ツルツル、ザラザラ、ゴツゴツ、冷たい、熱い。絵や写真を見ただけで人がそう感じられるのは触った経験があるからです。たとえばプリンを見たことも食べたこともない人にプリンの絵を見せたとき、もしその人が豆腐を知っていたなら、きちんとその表面の水っぽさ、表面張力や重力による変形の具合を描写していれば、プリンに近い触感を感じさせることはできると思います。しかし「プリンは台形で黄色くて上に黒いのがかかってる」ぐらいの認識で描いたなら、下手するとプラスチックや金属でできたものと勘違いされてしまうかも知れません。
もちろん、それを二次元上に絵として表現するには、そのフォルムや光の反射を描写する訓練が必要です。つまり「観察」して手に「記憶」させるわけです。記憶していれば「これはヌルヌルでツヤツヤだな」と思えば手が勝手に動きます。私は学生時代に散々色んなものを描いたので、今では無意識に描けるようになってしまいました。最近アマチュアでも絵が上手い人を多く見ますが、得意分野以外のものを描かせたら「なんだこりゃ」みたいな人も多いようです。描きたいものだけを描いて他は手を抜く、などという描き方をしていると最終的には壁にぶち当たりますから、高みを目指す人はデッサンを積んで早目にその壁を乗り越えておいた方がいいでしょう。
と、エラそうに書きましたが、材質感は手先で出せてもそれを画面の中で調和させるのは最終的にはセンス。他のものすごい絵師が描くような光の調和の描写と画面の中の空気感が出せるよう、私も試行錯誤を繰り返す毎日です。