つい先日、知人とアニメの話をしていた時に「宮崎アニメは主人公の成長によるブレイクスルーのカタルシスに頼っていない」と言う事を言われてまぁそうだねって答えたんですけど、ちと思うところを書いてみようかと。

まずはブレイクスルーのカタルシスって何よって事なんですが、簡単に言うと状況を打破することによって物語の浄化をもたらすって意味です。
全然簡単じゃないですね(笑)たとえばジャンプマンガと言うと・・・

  1. 主人公がどう考えても覆せそうにない逆境に陥ることで、読者はイライラ、ハラハラ、つまり精神的な抑圧状態に置かれます。
  2. 主人公は精神修養なり肉体的修行なり成長し1の逆境を打破することで読者は抑圧状態を抜けスッキリとし精神的浄化を得る。

と言う感じです。
ブレイクスルーは逆境を打ち破る力なり方法、カタルシスは読者が得るスッキリ感ってことです。
この様な作り方は作品の核となる面白さをストーリーに求めていると言えるのですが、宮崎アニメはそうでは無いと言うことになります。

では、宮崎アニメは何に作品の面白さを求めているのでしょうか。

私は宮崎アニメは個々の優れた表現を積み重ねて作品の面白さを形作る方法を採っていると思います。
ワンシーン、ワンシーンの表現の緻密さや動きや表情の面白さ。まさに「アニメーション」の面白さと言い換えることも出来るかもしれません。

実は作品の面白さを表現に求めているのは宮崎アニメだけではありません。最近の深夜アニメで言えばインフィニット・ストラトスなどは筋などは全く無く単にオタがブヒブヒ言うためだけにあるような、清清しいほどの表現特化アニメです。(あるいはオタが対象とするもの全てと言っても良いかもしれませんが)

そして、エロゲもまた表現特化型の作品の作り方になっています。
最近は涙腺決壊的なエロゲも多くなってきてるんですけど、無理にエロゲじゃなくても良いじゃんって思ったりその逆で一般向けのマンガだけどどう考えてもエロ表現しか売りが無いだろう。成人向けで出せよって思うことも少なくありません。

いずれにしてもcatwhiskerは表現特化のエロ同人の枠から外れることは無いと思うんですけどね。